STORY

私のターニングポイント

MISIでのキャリアを振り返る、
あの日のエピソード

商社パーソンの人生は、まっすぐな上り坂というわけではない。
同僚、上司、部下、世界中の取引先、そして仕事との出会いによって、一人ひとりがいくつもの異なる曲線を描きながら成長していく――。
現在、部長としてMISIの営業最前線で指揮をとる同期入社の2人、石黒基二郎と吉川圭の場合もそうだ。彼らの30年に及ぶキャリアの中で体験したいくつかの転機を、各氏2つのエピソードにまとめて紹介する。

PROJECT
PERSON
石黒 基二郎
Motojiro Ishiguro

1991年入社
自動車鋼材本部 自動車鋼材第一部長

Episode2試された社長の矜持
その名は「熱い水」
「アグアス…ですか?」
6年間駐在したバンコクから帰国すると、石黒には名古屋支社の自動車鋼材課で当時最年少となる課長の椅子が待っていた。2012年3月、そこに東京の本部長から1本の電話がかかってきた。要件は1つ。メキシコのコイルセンターの立ち上げ責任者、つまり社長として赴任せよという通達だった。
「石黒くん、アグアスカリエンテスだ。メキシコの中央部の都市で、“熱い水”という意味だそうだ。着任は来月で稼働は6月。よろしく頼む」
5年ぶりの海外駐在は魅力的だった。しかも今度は社長だ。アグアスカリエンテスは日系大手自動車メーカーや関連する巨大プレスメーカー(※4)などの工場も集積しており、コイルセンターの需要が非常に高い。
「熱い水か…おもしろそうな土地だな」
プレスリリースに記された稼働予定の6月まで2か月余り。約束どおり翌月4月に日本を発つ。同行したのは入社3年目を迎えたばかりの若手社員一人だった。
(※4)プレスメーカー:プレス加工(鋼板に型を押しつけて目的とする形状をつくる技)を行う会社。
冷えきった空箱
ところが、やる気に燃えて訪れたアグアスカリエンテスで出迎えてくれたのは、コイルセンターとは名ばかりの静まり返った大きな箱だった。
「これはいったい…」
わが目を疑った。2か月後に稼働するはずの設備は木箱に入ったままで工場内に並び、まだ設置すらされていない。工場建屋は完成しているが、肝心の電気が通っていない。アグアスカリエンテスの4月の平均気温は29度。コイルセンター内部の気温は高かったが、石黒にはそのコイルセンターが物音一つしない冷えきった空箱のように思えた。
だが、問題はそれだけでは済まなかった。
電気ばかりか設備とシステムを動かすプログラムが組まれていない。加えて人員がまったく足りない。現場従業員はわずか6名。年間13万トンの加工能力を持つコイルセンターでは最低でも30人は必要だ。また経理担当者も2人のみ。まさに“ないない尽くし”のコイルセンター。にもかかわらず、事業計画書には「初年度から63万ドルの黒字」と謳ってある。
「これは負け戦なのか…」
ただ、最高責任者が手をこまねいているわけにはいかない。すぐさま国営電気企業と契約を結び、5月中旬には通電を開始。伊藤忠丸紅鉄鋼の米国法人、通称MISAから派遣されたシステム部隊の精鋭プログラマーたちがわずか3週間で生産管理システムを立ち上げ、6月上旬にはコマーシャル出荷を開始する。なんとか形はついた。若いころからとんがり続けてきた手前、どんな状況でも泣き言は言いたくはない。
しかし、MISAから届いたシステム部隊の請求額を見たときだけは思わず吠えた。
「5万ドル? 見積もりも何もない2か月半の実働に、こんな金額が払えるか!」
システムの構築に金額以上の価値があることは知っていた。だが、歯を食いしばって黒字化を目指していた身としてはどうしても我慢ならなかった。
結局、赴任1年目の決算は15万ドルの赤字を計上。事業計画の達成はできなかった。
「社長」の仕事
翌年の5月、東京から本部長が飛んできた。到着するなり、本部長は言った。
「MISAの総支配人が『石黒をクビにしろ!』と叫んでる。おまえは何を考えてるんだ。いまコイルセンターを助けてくれるのは東京じゃない、北中米統括のMISAなんだぞ!」
本部長の叱責を受け、6月、MISAのあるニューヨークへ飛ぶ。やっと来たなとばかりに総支配人は厳しく諭した。
「君は社長という仕事が分かっていない。一介の営業部長とはわけが違うんだぞ!」
総支配人は、アグアスカリエンテスのコイルセンターの立ち上げにかけた年数と資金、携わってきた人たちの努力や想い、そして将来性の高さを伝え、その上でこう述べた。
「会社がうまくいかないときは社長が頭を下げ、外部の協力を取り付ける。社内も同じだ。現地スタッフも含めて社員全員と話をして進むべき方向性を定める。それが社長の仕事だ」
自分では精一杯頑張っているつもりだった。しかしそれはむやみに拳を振り回すボクサーと同じだ。社長として何をすべきか、社長の矜持とは何かをまるで分かっていなかった。「俺のせいじゃない」という逃げの気持ちもどこかにあったのかもしれない。
MISAで財務、経理、システムなどを担当する責任者たちにも石黒は初めて深々と頭を下げ、改めて支援を要請した。すると財務・経理部隊の責任者が口を開いた。
「ようやく言ってくれましたね。石黒さんが頑張っている姿はみんな知っていますし、みんな助けたかった。でも、あなたが心を開かない限り、サポートする機会がなかったんです」
同席したみんなが静かに頷いた。
その後、アグアスカリエンテスのコイルセンターはMISAから万全なサポートを受け、見違えるような業務改善を行い、高い収益を叩き出すことに成功。いまに至る。
この成功は自分ひとりでは到底成しえなかったもので、サポートしてくれた全ての人に感謝してもしきれない。
5年間の赴任を終え、石黒に与えられたのは自動車鋼材第一部長。部長とはいえ、社長としての知見を十二分に備えた一流の経営人材だ。もう単にとんがるだけの人間ではない。そのターニングポイントとなったのは、言うまでもなく、アグアスカリエンテスで“冷や水”をかぶった貴重な経験である。