DIVERSITY
& INCLUSION
人はみんな違うからこそ、
違いが個性や強みとなって活躍できる。
多様性に満ちた国で、
ダイバーシティ&インクルージョンを推進する。

PROJECT MEMBER

AYAKO ONISHI

大西 絢子

鋼管本部付出向
MITA OILFIELD SERVICES (M) SDN BHD

外資系海運会社でキャリアをスタートさせ、幹部候補生として世界各国で研修を受ける。しかし、より日本に根差したビジネス環境を求め、2008年にMISIへ転職。2度の出産を経て、現在はマレーシアで事業会社の社長を務める。

EPISODE #01

念願の海外駐在。赴任直前にコロナ襲来

以前は外資系の海運会社で、商社や石油会社に船舶をチャーターする仕事に携わっていました。デンマークで幹部候補生になるための研修を受講するなど刺激的な毎日でしたが、よりダイレクトに日本の経済・産業に貢献したいと思うようになり、転職を決意しました。鋼管本部の当時の課長と面談し「仕事で辛い事はなんですか?」と尋ねた際、「仕事は楽しいから辛かった記憶がないよ」と言われたことは今も覚えています。前職では家族やワークライフバランスを第一に考えるような社風があり、仕事を楽しむという意識はやや希薄でした。MISIで新たなチャレンジができるかもしれないとワクワクしましたね。

入社直後は日系企業ならではの風習に戸惑うこともありました。当時はまだワークライフバランスという言葉も一般的に使われてなく、夜9時から会議が始まり、夜10時から食事にいくようなことも日常茶飯事でした。現在とは環境が大きく異なるため隔世の感がありますが、当時周囲には同年代の若手も多く、多忙な日々ではありましたが、上長が会食に出た隙にこっそり皆で帰宅したりとみんなで協力し楽しく乗り越えていました。

その後、結婚・出産・育児といったライフイベントを迎え、2度目の育休が明けたタイミングで海外駐在を希望しました。「生活が落ち着いてから海外に駐在したい」と周囲に話していたので、自分にとってベストなタイミングで希望が叶い、2020年からマレーシア・クアラルンプールに本社があるMITA Oilfield Services (M) Sdn Bhd(以下、MIOS)へ出向しました。

MIOSは鋼管本部の事業会社で、油井管、ラインパイプなど石油や天然ガスを掘削・輸送する際に使う各種パイプの販売とサービスの提供を手掛けています。お客様はマレーシアの国営石油会社、オイルメジャー、エンジニアリング会社などさまざまです。まずはゼネラルマネージャーとして赴任し、半年の引継ぎ期間を得て社長に就任しました。キャリアとライフイベントを両立できるよう計らってくれたMISIにはとても感謝しています。

しかし、辞令が出て赴任する直前にコロナウイルスの大流行に見舞われました。ビザの発給が半年遅れ、隔離生活を経て赴任したもののマレーシアでロックダウン(都市封鎖)が発令されました。そんな厳しい状況の中、MIOSの売上の大部分を占める油井管の大型テンダーが発行されました。それは今後10年の売上を担保する契約で、応札(※)できなければ会社の存亡にも関わるものです。

分厚い応札書類を読み、内容を把握し、通常のテンダーより遥かに多い20社以上のサプライヤーからの見積もりを取得し、応札書類を纏め上げることはチームで対応していてもかなりの作業量でした。また感染症の急拡大と日本より遥かに厳しい隔離措置によって、私自身や帯同している家族のストレスもピークとなり、心身ともに今思い出してもギリギリの攻防でした。本社からは感染症拡大に伴い退避命令も出ましたが、赴任したばかりの社長が緊急時に帰国しては社員の士気に関わると思い、一時的な滞在許可を得たうえで準備に没頭し、最終日数日間は睡眠時間を削りながらなんとか応札することができました。この一件を通して社内の連帯感は一層強くなりましたし、提出後の安堵感と達成感、またその後に飲んだビールの味は決して忘れることはないでしょう。

※応札:ビジネスにおいて競争入札に加わること

入社3年目の頃、MISI社員との会食風景

EPISODE #02

多様性とはそこにあるもの。だからお互いを認め合う

マレーシアはマレー系、中華系、インド系を中心とした多民族国家です。MIOSは国営企業と取引している関係上マレー系の社員が多く、現地スタッフ30名の社員はほとんどがイスラム教徒です。礼拝の時間を設け、社内の電子レンジも豚肉などを温められるものと温められないものに分け、ハラール対応を行っています。

「年齢や性別、バックグラウンドが違って当たり前」という環境なので、その違いによって何かしらの不利が生じることはありません。日本でもダイバーシティ&インクルージョン(以下、D&I)の意識が高まっていますが、マレーシアでは改めて言及するようなものではなく、みんな違うのだから多様性があって当然だと認識されています。実際、取引先の国営企業は取締役の半数以上が女性ですし、MIOSでも現地採用のローカルスタッフ一人ひとりが自分の役割を果たそうと力を発揮してくれています。

D&Iとは、人はそれぞれ違うということを理解し、受け入れ、認め合い、その理解のもとに行動することです。ただ、認め合った先にどのようなメリットがあるのか分かりにくく、多くの企業が「社会の流れだから」という意識で推し進めている気がしています。

MISIの状況としても、今は「違いを理解した段階」だと思っています。社員の海外勤務を後押しするため、パートナー以外に2親等以内の親族を海外駐在に同行させることができる制度がありますが、これはそれぞれの家族のあり方やさまざまな事情に左右されず、社員一人ひとりにキャリアを伸ばしてほしいという想いから生まれたものです。実際に私の場合でも、夫は日本で働いており、マレーシアへは2人の子どもと母親と一緒に来ました。出張や会食、仕事の都合でどうしても帰宅が遅くなる時もありますし、子どもたちのことを考えると母親と暮らす安心感はとても大きく、この制度からもMISIのD&Iも進んでいる段階だと感じています。

しかし、鉄鋼商社として世界各国と渡り合っていくためにはこれまで以上にD&Iを推進しなければならないと感じています。MIOSでもD&Iの一環として、ローカルスタッフが長期的なキャリアを描けるようマレーシア以外の地域へ研修・駐在し、いずれMIOSの幹部候補として復帰する道をつくろうと試みています。

みんなが違いを認め合い、誰もが自分の個性を強みに変えて活躍できる組織になれば、きっと新たなアイデアやキャリアプランが芽吹くはずです。その結果、一人ひとりの個性が会社と社会のより良い未来を切り拓いてくれると信じています。

MIOSスタッフ全員集合! 前任社長の送別会にて

EPISODE #03

ライフステージが変わってもキャリアを伸ばせる

学生さんからOB・OG訪問を受けると、「女性でも活躍できますか?」「出産しても復帰できますか?」と毎回のようにご質問を頂きます。MISIではどうなのか気にしている方もいるでしょうが、今のMISIならライフステージが変わっても性別を問わずキャリアを伸ばせると、実体験からお伝えしたいです。

私はMISIに転職してから結婚と妊娠、出産を経験しました。育休期間は最長2年なので、仕事に復帰するにはその間に保育園を見つけなければなりません。当初は送り迎えがしやすいよう自宅のある区が運営する公立の保育園数十園に応募しましたが落選。夫の勤め先の企業型保育園にも入園できず、結局MISI本社近くにある保育園に預けるしかない状況に陥りました。月々の保育料は私立の保育園ということもあり公立の4倍近くとかなり高額で、共働きとはいえ、何年も毎月支払うことを考えると安くない金額です。それでも覚悟を決めて子どもを預けることにし、仕事に復帰しました。すると、子どもを預けるようになってから間もなく、MISIで「保育所の利用補助」が行われるようになりました。制度が施行されるタイミングと保育園の利用開始タイミングが重なったのは偶然でしたが、この補助制度は本当に助かりました。

日本は横並びを尊ぶ社会だと感じていますが出産をはじめ病気や介護など、横並びの隊列から急に外れなければならない時が訪れます。私も一度目の育休から営業に復職後、時間的制約から思うように仕事ができず自分がここにいても良いのだろうかという思いから、「異動させてほしい」と上長に頼んだことがありました。こちらの要望をストレートに呑んでくれるのも、会社としての社員への配慮の1つです。しかし、私が意思を伝えた上長は、「チームで仕事をしているんだ。今できないなら全員でサポートする。その代わりできるようになった時に恩返しすれば良い」と言ってくれました。この言葉を聞き当時とても救われました。こうした発言は、個人を尊重しサポートする組織風土がなければ出てこないと実感しました。

私自身、悩みながらも周囲のサポート受けてライフイベントと両立させてキャリアを築き、駐在先で様々なバックグラウンドを持つ社員と違いを認め合いながら、誰もが自分の個性を強みに変えて活躍できる組織を目指して仕事をしています。

エピソードでもご紹介させていただいたように、MISIには個人を尊重し、サポートする土壌は整っています。一方、今後さらに鉄鋼商社として世界と渡り合っていくためには、社員が自分らしく活躍できるよう、会社としても進化していく必要があると感じています。その一環として、マレーシアでともに働く社員が自分の個性を強みに変えて国籍に関係なく活躍できるような組織作りをすることが、MIOSで目指す私にとってのD&Iだと考えています。

マレーシアでの子育ても奮闘中