Chapter 3
三宅 沙綾
Episode 2
バンコクでの決意
自動車鋼材第二部
自動車鋼材第四課
課長代行
2008年キャリア採用入社

部署は取材時のものです

三宅 沙綾
Saya Miyake
月間1万キロ
「絶対に大きな結果を残そう」
赴任当初、三宅はとにかく意気込んでいた。初めての駐在ということもあるが、前任者が自分にとって憧れの先輩社員であり、駐在中にパイプ加工メーカーの買収に成功するという輝かしい実績を残していたことが、持ち前の負けん気に火をつけた。
「先輩が1件の事業化に成功したのなら、自分は2件以上やってやる」
そう決心すると、顧客や関係先へのアポイントメントを目一杯取りつけ、平日は営業回りと会食、休日はゴルフと目まぐるしく動き回った。手帳には、黒く塗りつぶしたのかと思うくらいに予定がぎっしり書き込まれ、営業車の月間走行距離もしばしば1万キロを超えた。
しかし、そんな努力を2年間続けても、先輩社員のような大きな成果は上げられなかった。
「何を間違えているんだろう…」
顧客や関係先の課題や悩みを聞き出し、中身のあるビジネスを提案しているはずなのに、受注にはなかなか結びつかずにいた。
大きなビジネスをものにできるチャンスがなかったわけではない。それまでに2度、海外の自動車部品メーカーがタイに進出するという情報をつかむと、その会社とタイの部品メーカーとの間を仲介し、合弁会社を設立させるという事業計画を立案した。MISIはマイナー出資(※5)という形で参画し、合弁会社の商流の取引を独占することで、安定的な利益を得ることができる。実現すれば、まさに大手柄となるはずだった。
しかし、1度目はメーカーの担当者同士の交渉が不調に終わり、話は立ち消えとなった。2度目は契約締結直前までこぎつけたが、土壇場で資本構成が変更することとなり、MISIは出資を取り止めた。
「ああ、またやってしまった。」
奮闘したものの、絶好の好機を逸してしまった。自他ともに認めるポジティブ思考の持ち主とはいえ、さすがに落ち込んだ。それからずっと、長いトンネルから抜け出せないような、不安と閉塞感に苛まれていた。
そんなある日、事業会社の社長から思いがけない言葉をかけられた。
「最近、ようやく仕事の役に立つようになってきたな」
突然差した、一筋の光だった。
(※5)マイナー出資:投資対象となる企業の株式を、50%を超えない範囲で取得すること。
トンネルを抜ける
「本当ですか。全然、実績が上がっていないのに……」
自信をなくしていた三宅は、社長の言葉に対して、訝しげにそう返した。
「いや、最初はひどかったけど、最近はよく勉強しているなって感じるよ。結果はついてくると思う」
本当だろうか。にわかには信じられずにいたが、驚くことにそれから間もなく、ずっと提案し続けていた案件の受注に成功した。すると、今までの苦戦が嘘のように、案件を次々と受注できるようになった。長いトンネルをようやく抜け出せた、と感じた。
結果が出始める前と後で、特にやり方を変えたわけではない。しかし、これまでの2年間、全力で動き回ったことで、経験・知識・人脈を目一杯蓄積でき、情報収集力や分析力が徐々に身についてきた。そして、3年目にようやく「タイのマーケットで本当に必要とされる」ビジネスを提示し、評価されるようになった。
こうして、仕事への自信を取り戻しつつあった2015年10月、あるニュースにタイの鉄鋼業と自動車産業の両方が騒然となる事態が発生する。タイ最大規模の鉄鋼メーカー、SSI(Sahaviriya Steel Industries PCL)が経営破綻し、会社更生法を適用したのだ。
SSIの生産する鋼板は、タイに生産拠点を構える自動車メーカーの多くに採用されていた。
MISIはSSIに3.5%出資し、同社の取扱窓口の1つでもあった。そのため、バンコク支店にも、顧客たちからの電話が矢継ぎ早にかかってきた。
「今後も、鋼板を継続して供給できるのか」
その心配はもっともだった。SSIは熱延鋼板メーカーで、鋼板を製造するには原料となるスラブ(※6)の調達が不可欠となる。MISIは、会社更生法を申請したSSIを支援し再生させるべく活動していたが、資金面での問題も含め、今後もSSIがスラブを安定的に調達できるのか、業界内で疑問視されていた。
この混乱を鎮め、他の鉄鋼メーカーへの顧客の流出を少しでも食い止めなければならない。三宅は、長期出張でタイに戻ってきた先輩社員とともに、事態収拾のためのアイデアを出し合った。考え抜いた末に、先輩が1つのスキームを思いついた。
「スラブをうちの資産にするというのはどうだろう」
(※6)スラブ:溶かした鋼を連続鋳造し、圧延しやすく切断したもの。
スタイルを貫く
先輩社員が考えたスキームは、SSIが調達したスラブをMISIの資産として保有し、SSIに鋼板への加工を委託するというものだ。この場合、スラブの調達から顧客への鋼板の供給までの商流を、MISIで一貫して保証する形となる。
前例のない、突拍子もない発想だが、やるしかない。三宅はSSIの鋼板を採用している顧客たちに、このスキームを提案して回った。
「そのようなスキームを準備しているのであれば、安心ですね」
顧客のほとんどが理解を示し、取引を継続してくれた。それどころか、これを機に、SSIの取扱窓口を他の商社からMISIに変更してくれた自動車メーカーもあった。
「あんなスキームは、到底思い浮かばない。先輩にはまだまだかなわないな」
自分の力不足に気づかされる一方で嬉しいこともあった。
「三宅さんだから、MISIもこのスキームも信用できるよ」
何人もの顧客が、そう声をかけてくれたのだ。
「さまざまな価値観・文化を持った人々と理解し合い、意思を一つにして、ともにゴールを目ざしていく過程」に恋焦がれ、「すべての相手に敬意を持った商社パーソンになりたい」と願い、ずっと仕事に奔走し続けてきた。
「まだまだ未熟ではあるけれど、これまでの自分は間違っていなかった。」
顧客の温かい言葉を聞き、三宅はそう強く思えた。
これからも自分の信じるスタイルをただひたすらに貫いていく。新たな決意が芽生えた、まさにターニングポイントであった。