Chapter 4
河村 俊江
Episode 1
「当たり前」を学ぶ
人事総務部
総務・CSRチーム
チーム長
2007年入社
河村 俊江
Toshie Kawamura
経営者への野望と中東と
「ケイエイシャをつくる」
そう太く、力強く記された新卒採用のホームページが偶然、目に留まった。これまで、まったく志望していなかった会社だが、河村はある確信めいた予感を抱いた。
「この会社、自分に合っているかも」
伊藤忠丸紅鉄鋼(以下、MISI)との運命的な出会いであった。
* * *
1990年代末以降、大学生や、大学の知財を活用した研究者たちによるベンチャーブームが巻き起こり、多くの若手起業家が生まれた。
そのブームを横目に、当時学生だった河村にも「いつか起業して、経営者になろう」という思いが芽生えていった。
就職活動では「早いうちから一人前に育ててくれる会社」「若手に裁量権を与える会社」に入社しようと、当初はベンチャー企業を中心に企業研究を行った。
しかし、ベンチャー企業は組織として未成熟な側面もあり、社員を育てるシステムが構築されていないように感じることもあった。
いきなり現場に放り込むだけの会社では、社会人として大事な基礎が抜け落ちたままキャリアを重ねてしまうかもしれない。基礎からきちんと育ててほしい。そう思うなかで、偶然に出会ったのがMISIだった。
ホームページには、MISIは国内外にグループ会社を多く保有しており、その経営者となる人材の育成が課題であると書かれていた。河村は強い胸の高鳴りを覚えた。
「組織にいながら経営者になれるなんて、すごく面白い」
もっとも、MISIに惹かれたのはその点だけではない。
河村は、大学と大学院で中東地域の研究に没頭した。児童向け雑誌に掲載された、アフガニスタン内戦から逃れようと来日した少年の手記を読んだことが、興味を抱いたきっかけだった。研究は大学院で終えるつもりだったが、河村の中東への関心と想いは尽きることはなかった。
「ここなら、中東にかかわるビジネスもできるかもしれない」
河村はすぐに履歴書を書き始め、MISIの新卒採用に応募し、無事に採用が決まった。2007年春、こうして強い野望を胸に秘めた新入社員が新たな世界へ足を踏み入れた。
半年間で21トン
入社してから2か月間、鋼管本部の総括室に在籍した後、河村は油井管(※1)の営業担当として鋼管貿易第二部(※2)へ異動、部内にあるPYP(攀成伊紅石油鋼管)を担当するチームの一員となった。
「中東にかかわるビジネスをしたいです」
面接の際も、入社後もそう言い続けた河村だが、油井管営業として最初に担当することになったのは、意外なことに中国の会社だった。
PYPは中国・四川省の鋼管加工会社で、数年前に設立されたばかり。当時、MISIが40%出資しており、主に油井管にねじ切り加工(※3)を施していた。
チームは、河村と指導社員である先輩との2名のみ。世界中の石油・ガス開発会社に、PYPの油井管の営業をかけるのがミッションだった。新入社員にも関わらず、顧客が存在しない新会社の営業を担当することとなり、当初はさすがの河村も面食らったが、すぐに気持ちを切り替えた。
「一人前に成長できる、絶好のチャンスだ。とにかくやってみるしかない」
しかし、先輩社員と二人三脚で文字通り営業に奔走したものの、実際はそれほど大きな成果は上げられなかった。
石油・ガス開発は莫大な金額が投下されるプロジェクトであり、油井管1本に欠陥があって井戸が損傷した場合、何億、何十億円単位の損失となる。油井管営業では、製品の質が高く信頼されているかどうかが重要だ。
そのため、設立したての会社で加工した油井管を新規で採用してもらうのは、なかなか難しいのが現実だった。
結局、PYPチームは社内体制の変更のため、翌年春に解散した。
河村は中東・インド・パキスタンチームへ配置替えとなり、中東の油井管マーケットの開拓を担当することとなった。念願だった、中東にかかわる業務だ。
発令の際、河村は部長にはっぱをかけられた。
「これで駄目なら中東から撤退する、というくらいの気持ちでやれ」
「はい!期待していてください」
そう歯切れよく返答したものの、チームに配属されて半年後、河村が受注できた油井管の数量は、わずか21トンに過ぎなかった。
(※1)油井管:石油や天然ガスの採掘で使用する鋼管。井戸を掘削する際にドリルを先端につけて回転させるドリルパイプ、井戸の崩落を防ぐために設置するケーシング、石油やガスを汲み上げる際に用いるチュービングなどがある。
(※2)鋼管貿易第二部:当時の部署名。現在の油井管・特殊管部。
(※3)ねじ切り加工:油井管同士を継手でつなげるために、管の先端をねじ状に加工すること。
信頼を勝ち得るために
前述の通り、石油・ガス開発のプロジェクトには莫大な金額が投下される。そのため、使用する油井管についても百トン、千トン単位で発注されることもあり、より大規模なプロジェクトでは1万トン単位になることもある。
つまり、河村の半年間の受注成績は著しく少なかった。
「これではまずい…」
成績不振には理由があった。PYPの油井管の営業のときと同様、MISIが取り扱う鉄鋼メーカーの油井管が、品質面で中東の会社に信頼してもらうことが出来ていなかったからだ。
しかし今回の場合、その鉄鋼メーカーの油井管が質で劣るわけではまったくなく、質の高さが中東では周知されていないだけだった。
とはいえ、当時の中東の油井管マーケットは、別の鉄鋼メーカーの製品が長きにわたり大きなシェアを占めており、それを崩すことは容易ではなかった。
チームは一丸となって何度も会議を重ね、一つの結論にたどり着いた。
「この地域特有の事情を考慮した売り方が必要ではないか」
中東の産油国は、中央集権的な政治体制である国が多く、そのため石油・ガスの開発についても、国営企業が大きな影響力を持つ場合が多い。そこに油井管を売り込み、質の高さを認定してくれれば、他の会社も「国営企業のお墨つきならば大丈夫」と考え、受注につながるのではないか、と考えたのだ。
「とにかくやってみるしかない。」
国営企業に売り込むには、品質を保証する各種テストの結果など、おびただしい数の書類を作成する必要があり、まずはそれを一つ一つ根気強く準備していった。また、河村を含めたチームの他の社員は幾度となく出張を重ね、現地スタッフとともに国営企業に出向いて、品質の良さをひたすらに伝えて回った。
汗水垂らして奔走した甲斐あって、国営企業へのハイグレード油井管の納入に2年がかりでようやく成功した。
「ああ、やっとだ。やっと成果が出た」
この成約を皮切りに、中東におけるMISIの油井管ビジネスは更に大きく広がっていった。
マーケットの特性や、何が求められているかを的確にとらえ、それに適合した製品を、最適な方法で提示し、顧客の信頼を勝ち得ること。当たり前のプロセスに思えるが、その大切さと厳しさを、河村は身をもって学んだ。今後のキャリアにとってまさに財産となる学びであった。